妻を幸せにすることが子どもたちを幸せにすることです。


 

友人が我が家へ遊びに来たときのこと。

妻を交え3人でお茶を飲みながらお話をしていました。

 

 

なぜだか夫婦の話題になりまして、僕が前述の「キッチンの片付け問題」について話しておりました。

こちらの記事

 

僕はシンクが汚いことがどうにも我慢ができません。

それで、自分できれいに片付けていました。

それでもこんな不満を口にしました。

 

 

「せめてシンクの中を食器や調理器具で埋め尽くすのはやめてほしい」

 

 

いつも洗うスペースすらないシンクなのです。

ですから、僕は一度、シンクの中にある食器は調理台の上などに移動する必要があります。

 

 

家事をするのはいい。

そこにもう不満はない。

でも、そこに愛を感じないのが寂しいんだ。

 

 

そんな話をしました。

洗う立場の身になって使ってくれたならうれしい。

「鍋やフライパンを洗って」とは言いません。

 

 

せめて、クッキングヒーターの上に置きっ放しにしておいてくれたら洗いやすいです。

 

 

そうお願いしました。

でも、聞き入れてはもらえませんでした。

 

 

「だって、できないもん」と言うのです。

シンクに下げずに使いっ放しでいいと言っているのに、それが「できない」と言うのです。

これでは話になりません。

 

 

そのうえ「やろうと思った」などと言うものだから、僕はイライラするばかり。

どんどん語気が荒れてきます。

この「やろうと思った」は、実は何度も聞いてきた言葉でした。

 

 

「私には私のタイミングがある」

 

 

そう言うのですが、その結果深夜に突然洗い物が始まって、よく朝眠そうにしている姿を何度も見てきました。

一度試しに「妻のタイミング」を知ろうと、一切手伝わなかったら二日目の夜まで洗い物がしてないこともありました。

三角コーナーからは異臭が漂っています。

 

 

それで僕は「なんだよ」と思って、また一人シンクをきれいにしていきます。

 

 

でも、あるとき気づいたのです。

なぜ、彼女がフライパンや鍋をクッキングヒーターの上に置きっ放しにしておくことができないのかに。

朝食で使った鍋やフライパン。

クッキングヒーターの上に置きっ放しでは、昼食は作れません。

 

 

昼食で使った鍋やフライパン。

クッキングヒーターの上に置きっ放しでは、夕食は作れません。

 

 

ですから、どんどんどんどんシンクには鍋とフライパンで埋め尽くされていく。

そこに食器も加わるものだから、さあ大変。

洗うスペースがまったくないのです。

 

 

ただでさえそういうことが得意ではない彼女。

ほっておけば二日でも三日でも放置されることになるのは仕方のないことです。

 

 

でも、そのときの僕は頭の中が怒りでいっぱいになりました。

そんな様子を見ていたのが次男くん。

 

 

目をパチクリパチクリ。

いわゆるチックの症状が現れました。

 

 

その表情を見ながら、やっぱり深く反省しました。

僕が怒りを表明し、妻を責めれば、子どもたちの身体の症状となって現れる。

 

 

男である僕がもっと妻に優しくならねば。

もっと妻を幸せにせねば。

 

この子たちが笑って暮らせる家庭にはならないと思いました。

 

夫婦げんか

 

「キッチンの片付け問題」について、もう少し話を続けたいと思います。

 

 

僕らは自分の目で見た世界を、この世界のすべてだと錯覚しています。

 

「食器を洗わない」

「シンクを埋め尽くす」

「手伝ってと言わない」

そうやって僕を苛立たせる妻。

 

 

僕の側から妻を眺めれば、そう見えてしまいます。

ところがです。視点を僕の側から妻の側に移動させてみる。

すると、まったく異なる世界が見えてきます。

 

 

手荒れのひどい妻。

洗い物は皮膚への負担が大きく、できればやりたくない仕事です。

 

 

洗い物をしないで食事をするためには、大量の鍋が必要になります。

朝食用、昼食用、夕食用と。

それに合わせて食器だって増えていく。

 

 

「お願い」って言ってほしいけれど、それが言えない妻。

なぜって仕事を終えてヘトヘトになって帰ってきた僕に、「ねえ、洗い物してよ」とは言えません。

 

 

そう、これは気遣い。

相手への思いやり。

 

 

でも、それに気がついてあげられなかった僕は、怒りを感じていました。

そして、僕の怒りに対して彼女もまた正義で応戦します。

 

 

「ごめんね」の一言が言えない彼女。

「やろうと思った」

「私には私のタイミングがある」

そう返答をしてしまう。

 

 

これでは平行線のまま。

ぶつかるか、すれ違うしか方法がなくなってしまうのです。

 

 

そして、そのことが子どもたちをひどく傷つける。

 

女性との会話

 

互いに少しだけ歩み寄れるといい。

本当に少しずつでいいんです。

歩み寄ってみてください。

 

 

あるご夫婦とお会いしたときのこと。

旦那さんのDVに悩んでいるとご相談いただきました。

 

 

それで、それで旦那様にお会いしたんですね。

なんとも気弱な旦那さんでした。

 

 

気になったのは奥様の物言い。

こちらが聞いてて嫌になるほど。

 

 

旦那さんなど眼中にないようで、自分のことばかり話す、話す、話す。

旦那さんの言葉など聞く耳すらない様子でした。

 

 

(なるほどな)と思いました。

 

 

手を出すことが良いことだとは決して思いません。

ですから、暴力を肯定するつもりはさらさらありません。

でもね、思うのです。

 

 

この旦那さんには手を出さざるを得ない状況があったのだな、と。

まったく旦那さんの言葉に耳を傾ける素振りすら見せない彼女。

その状況を打破するための致し方ない行動。

 

 

 

暴力を認めるつもりはないけれど、この旦那さんにはこの旦那さんなりの理由があるのだと感じました。

夫婦なんて五十歩百歩です。

 

 

夫婦が抱える問題は、「二人の問題」なのだと感じました。

 

 

 

どちらかが良くて、どちらかが悪いなんてこともない。

互いに一歩ずつ歩み寄っていくことが大切なのですね。

 

 

 

くればやし ひろあき

公立中学校で16年間3000人以上の子どもたちと出会ってきた思春期の子どもの専門家としてメルマガ配信。当初、学校の先生に向けて発信したが、先生たちには見向きもされず。なぜかお母さんたちの心を掴んでしまい、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に呼ばれるようになる。個人セッションをスタートすると、お母さんたちで行列ができる。
気がつけば、幼保小のPTAや高校生、なぜかシルバー人材センターまで、いろんなところに呼ばれる講演家に。
「お母さんとお母さんをつなぐ」をコンセプトに『子育て万博』を主催。妻とともにお母さんコミュニティー『プレシャス』を主宰し、名古屋にてお母さんのための寺子屋『ラブリー』を開校。
また、STRインストラクターとして年間350名が入門講座を受講。その上位講座である門下生養成プログラムは全国16都道府県から参加し、3日で満員御礼となる。
365日、子育てからパートナーシップまで、人妻たちの悩みに寄り添う生活を続けている。
妻と3人の子どもの5人家族。1978年生まれ。出身地名古屋。