なぜうちのパパは子育て参加に消極的なんだろう?
彼女はママへと進化した
女性は妻から母に変わる過程で、身体に様々な変化が起きるんですね。
たとえば、ある大学の実験。
生後3ヶ月ぐらいのママを10人集めました。
こちら側にはママが10人。
そして、カーテンの向こう側には、1人の赤ちゃん。
この赤ちゃんは、ママのうちの一人の赤ちゃん。
カーテンの向こう側で泣いている赤ちゃんは誰の赤ちゃんでしょうか?
「ママなら当てられるでしょ?」ってそんな実験。
次々と連れてこられる赤ちゃん。
泣いた子から順番にやってくる。
それを聞いて、ママは自分の赤ちゃんを当てるのね。
そしたら、すごいのよ!
なんと全員不正解。
せっかくこんな実験したんだもの。
ママなら当てられそうじゃない?
でも、全員不正解だったの。
でね、面白いのはここから。
もう一度、同じ実験をしたのね。
今度はママに考えるのはやめてもらった。
ちゃんと感じてもらった。
そしたら、面白い現象が起きたの。
頭で考えてるうちは、全然赤ちゃんがわからなかったのね。
(声が高いからうちの子かしら?)
(この泣き方はうちの子っぽい?)
って頭で考えすぎたのね。
やっぱ、「考えるな、感じろ」ね。
母は偉大よね。
なんと、感じたら全員が自分の赤ちゃんを当てられたの。
泣き声を聞くとぎゅっと胸が締め付けられる。
そんな気持ちのときに、「この子、私の赤ちゃんです」って申告してもらったの。
そしたら、全員正解。
それってすごくない?
ママは我が子を守るため、アンテナの感度が増すの。
ホルモンの影響みたいよ。
偉大なるママの変化
妊娠と出産によって、女性は母へと進化するのね。
十月十日の歳月をかけて、少しずつ「母」になっていくのね。
心も身体も母になる。
それって素晴らしいことよ。
で、問題は男性の方。
残念だけど、男の人には男性から「父」になるための変化がサッパリないの。
サッパリよ。
ある日、突然妻が「妊娠した」と報告するでしょ。
(えっ!俺もパパかぁ)なんて思うけどさ。
そこから十月十日、何にも変化がないの。
女性は乳首の形状が変わり、色が変わる。
男性は何も変わらない。
女性のお腹はだんだん大きくなる。
男性は何も変わらない。
女性は味覚まで変わるらしい。
男性は何も変わらないんだけどね。
「もっとパパとしての自覚を持ってよ」なんて言われるけど、何の変化もないの。
自覚とか責任とか、そんなことばっかり言われるんだけどね。
お腹に赤ちゃんがいる感覚
ある日、僕は妻の地雷を踏んだ。
だんだん、お腹が大きくなっていく妻。
時折、赤ちゃんがお腹を蹴る。
「あっ!蹴った!」なんて言う。
どこにでもある微笑ましい光景があったわけ。
でも、僕は疑問だった。
お腹の中にもう一人、自分とは異なる生き物がいる感覚。
自分の意思とは別に、蹴ったりするってどんな気持ちなんだろう?
その疑問を素直にぶつけてみたの。
「ねえねえ、お腹の中に別の何かがいるのって変な感じしないの?」
素朴な疑問だった。
でも、妻から「ひどくない?」と言われてしまった。
母はお腹の中で赤ちゃんの存在を感じ愛情を育むんだけど、男性にはやっぱりよくわからない。
なにせ僕は妊娠したことがないのだ。
デリカシーがない男性の発言に傷つく女性は多い。
だが、男性にはそもそもその発言がデリカシーがないということすらわからないんだと思う。
男性教諭が生理の話をすることの違和感
初任のころ、保健体育の先生をしたことがある。
学校では、教員数が足りなくなると、臨時に免許外の教科を受け持つことがある。
僕が担当したのは1年生。
まだ20代前半のころでした。
保健の授業は、思いっきり性教育。
う〜む…、しかも男女共習。
月経とか射精とか、、そういうことを教えなきゃいけないわけ。
いやはや、辛かったよ。
20代前半のくればやし先生にとって、地獄のような時間だった。
中1ともなると、初潮を迎えた女子生徒も多くいる。
残念ながら、僕はまだ初潮を迎えていない。
41年の間、男性をやってきたわけだが、ついぞ生理は来なかった。(←当たり前)
そんなわけで、生理になったこともない僕が生理について語るということに、20代のくればやし先生は、とてつもない抵抗を覚えたわけね。
いやはや、もう地獄よ、地獄。
昔、バイト中にうんこしたらお尻の穴が切れたことがあった。
和式便所の便器に血がポタポタと垂れた。
一瞬、ゾッとしたのね。
(お尻から血が出た…)と思った。
「ねえ、生理ってあんな感じ?」って妻に尋ねたら「全然違う」と即答された…。
男には女性の身体のことはやっぱりわからないんだよね。
性交後の冷静さは愛だった。
まー、でも、逆に言えば、男性の身体のことも女性にはわからないわけ。
たとえば、セックスの後、女性は男性とまったりした時間を過ごしたいんだそうな。
余韻を楽しむ、そんな時間ね。
ところが、面白いもので。
男性は「射精」を終えると、恐ろしいほど冷静になる。
俗に「賢者タイム」と呼ばれる時間なのね。
たぶん、この時間に「センター試験」を受ければ、東大も夢じゃない。
もちろん学科は「哲学科」ね。
女性にはわからないだろうけど、本当に一瞬で夢から覚めた感じになる。
スーーっと落ち着くの。
気持ちも盛り上がって、身体も盛り上がって、絶頂を迎えたら、そこから一気にスーーっと引く。
ええ、もう、冷静さマックス!
これもどうやらホルモンの影響らしいのね。
プロラクチンという性ホルモンがそうさせるらしいわ。
動物の世界では交尾などの繁殖行動時はとても無防備になる。
外敵に狙われやすい危険な状態だよね。
だから、行為が終わると、男性はすぐに周囲への警戒行動を取るために冷静さを取り戻すわけ。
つまり、妻と守るために男性は急激に気持ちを減退させるのね。
すべては愛なんだけどね。
それを「冷たい」って感じちゃうの。
このプロラクチンは、ママの母乳を促進させるホルモンでもある。
つまり、パパにもママにも同じホルモンが分泌され、パパは妻を守ろうとし、ママは赤ちゃんを育もうとしているのね。
そもそも、動物の世界に性交後イチャイチャしている動物はいないのね。
動物の交尾ってあっさりしたもの。
人間は繁殖のためだけにセックスをするわけじゃないし。
愛を確かめ合う、そんな時間でもある。
人間として「そばにいてあげたい」けれど、生き物として「警戒態勢に入る」と表現したら伝わるかしら。
ココロとカラダは別の動きをするの。
それが男女のすれ違いを生むのかもしれないわね。
助産師の脅迫
出産に立ち会う場合、いわゆるパパママ教室に出なきゃいけない。
これがもう、本当に苦手。
我が家は3人の子宝に恵まれたから、合計3回パパママ教室に出たのね。
毎回、3Kgの重り入った服を着させられる。
そして、助産師さんから「いかにママが大変か」を聞かされる。
「ママは大変なのよ」
「ママは大変なのよ」
それを聞いているうちに、気が重くなる。
男性にはパパになるという実感がない。
身体に何も変化が起きない。
そんな状態で「大変なの」「大変なの」ばかり聞かされる。
そして、「重いでしょう?重いでしょう?」って何度も尋ねられる。
ぶっちゃけ、男性の身体は戦うようにできている。
このぐらいの重さは、そんなに重くない。
だが、助産師のしつこさに負けて、「重いですね。大変ですね」と言わされる。
助産師さんは出産するママの気持ちはよくわかるかもしれないけれど、出産に立ち会うパパの気持ちはよくわかっていない。
もっと受け取りやすい言葉で伝えてくれたらいいのにな、って思う。
案外ワルないイクメン戦略
育児をする男性をイクメンと呼ぶことに抵抗を覚える人も多い。
「育児をするのは当たり前じゃないか!」と言うのである。
確かに当たり前ではあるのだけれど、残念ながら現状では男性の育児参加は少ない。
男性の育児時間は女性の育児時間の10分の1程度なんだよね。
ってことは、やっぱもっと育児に参加するパパが増えた方がいいじゃん?
で、イクメンって呼ぶのは案外悪くない戦略だと思うの。
育児するパパってカッコいいよね!って文化をつくった方が男はノッてくる。
家事をするパパもカッコいい…みたいな流れも良い。
男って単純だから、カッコいい自分でいたい。
ワイドショーや雑誌でどんどん取り上げたらいい。
タピオカみたいに、「育児や家事をするパパが今、渋谷の若者に大人気!」って感じにするといい。
「洗濯物干してる男性を見るとキュンとします!」と言う女性大生の街頭インタビューをバンバン放送しよう。
「こうすべきだ」「こうあるべきだ」
そんな言葉で戦うよりも、気分を乗せて家事や育児を「やりたい気持ち」にさせた方がいいんじゃないかな、なんて思うのだ。
「違う」を前提に寄り添う
「パパの自覚がない」という男性は多い。
「子どものままのパパにイライラする」なんて声もよく聞く。
だが、大切なことは男性をパパに育てることである。
妊娠から出産にかけて徐々にママになっていくママと違い、パパは誕生と同時に「今日からパパ」なのである。
ちょっとそれ、無理。
幸い僕は何度も妻の出産に立ち会ってきた。
赤ちゃんの時期も、積極的に赤ちゃんのお世話に参加してきた。
沐浴をしたり、オムツを替えたり、夜泣きすれば赤ちゃんとお散歩に出かけたり。
妻が自然と僕にそんな時間をプレゼントしてくれた。
多少やり方が悪くても、文句の一つも言わない。
「ありがとね」と声をかけてくれる。
それだけで新米パパはやる気になる。
身体の変化も脳の変化もない男性には、その分だけ「パパになる期間」が必要なのだよ。
男性の育休取得は、もしかしたら「パパとしての自覚」を促すのに重要なのかもしれないな。