心が不感症
ある女性は、子どものころを述懐し、次のようなエピソードを語ってくれました。
スーパーの玩具売り場で、ゴキブリのように床に這いつくばって転がる兄。おもちゃを買ってもらえないことに駄々を捏ねている。その姿を冷静な目で見つめる少女が私。
母が困った顔をしている。途方に暮れている。
彼女は兄を背負い、背中でまだグズグズ言っている兄をおんぶした。
そして、彼女はいい子でなければならないと悟ったと言います。
「本当は私だって、子どもがやりたかったんだよ。でも、私が子どものままじゃお母さんが困ってしまうから」
こうして彼女は、子ども時代に「子ども」を十分させてもらえずに大人になりました。
彼女が覚えたのは「我慢」でした。わがままを言う兄を眺めながら、彼女は「我慢」を覚えていったのです。
我慢はやがて不感症を生み出します。
「自分がどうしたいのか」
自分の気持ちに蓋をし続けた結果、自分が今何を感じているのか、何をしたいのか、感じる力が失われてしまったのです。
「我慢」はとても楽な選択です。我慢をしていれば、誰ともぶつかりません。向き合わなくてもいい。そんな選択なのです。
もしあなたが今、「我慢」という選択を選ぶことが多いならば、自分の気持ちに不感症になっているサインかもしれません。
「何をしたいのか」の代わりに、行動の指針となるのは「何をすべきか」です。
不感症になると、「自分がどうしたいか」よりも「どうすべきか」「どうあるべきか」に基準が移行してしまうのはそのためです。
僕もそうでした。
「我慢すること」が得意でした。自分さえ我慢すればいい。そうすれば、すべてがうまくいくのですから。
「助けて」「手伝って」が言えないんですね。迷惑をかけちゃいけないって自然と思ってしまう。こんな僕のお願いを聞いてもらうなんて迷惑なんじゃないかって。
「迷惑をかけちゃいけない」と信じている。
「助けて」「手伝って」と言うと迷惑をかけると信じている。
これもまた、不感症のサインです。
僕らはこうした信念のもと、がんばり続けてきました。
心の奥底に「がんばらないと愛されない」という恐れが刻まれているのです。
別の女性を紹介します。
彼女はとても権威ある職業に就き、美人でスタイルもいい。誰もが羨む女性であり、一人の娘を育てるママでもありました。
彼女が涙ながらに言うのです。
「生きることが苦しかった…」と。
僕は驚く気持ちをぐっと堪え、話に耳を傾けました。
聞けば、彼女は大変厳しいご両親のもとで育ちました。家業を継がねば、と必死になって勉強をしました。「そんなことではダメだ」と厳しく言われ、やがて寝る暇も惜しんで机に向かうようになりました。食事すら喉が通らなくなり、彼女の心は壊れていきました。
そんな折、彼女は級友からいじめられるようになります。
自宅は立派で、親は名士。そのうえ彼女は容姿端麗。成績も優秀となれば、それはもう羨望か、もしくは嫉妬の対象としかなりません。
笑い方すら忘れてしまった彼女。僕のもとへやってきたとき、第一印象は(美しいけれど、影のある女性だな…)と思いました。
「かわいい顔してのに、笑わないね」と調子よくからかう僕に、悲しい瞳で「そんなことないです。私、かわいくないです」と言うんです。
受け取り拒否。
彼女の気持ちに寄り添いながら、少しずつ少しずつ心のリハビリをしていきました。やがて晴れやかに笑う彼女を見たとき、僕は泣きそうになりました。
もう一人のお母さんをご紹介しますね。
彼女は元保育士でした。今はピアノ教室の先生をしながら子育てサークルを運営しているパワフルなお母さんです。
「私は何も選ばせてもらえませんでした」
幼い日を回想し、そう呟く彼女。その表情には怒りすら滲んでいました。
お受験で私立小学校に入るも、成績はいつも下位をウロウロ。県下有数のお嬢様学校であり、エスカレーター式に中学、高校、やがて大学と進学。一見すれば、順風満帆な進路です。
しかし、彼女は自分の人生を悲観的に捉えていました。「人生の選択」をさせてもらうことができなかったと言うのです。大学の学科は、狭められた選択肢の中から消去法で、保育の道を選びました。もちろん、嫌々選んだわけではありません。
保育の仕事はそれなりに楽しく、退職した今も「子育てサークル」の運営に生かされています。
それでも思う。もしかしたら、他の人生もあったかもしれない。もっと豊かな人生か、それとも苦しい人生か。それはわからないけれど。
自分で人生を選択させてもらえなかった彼女は今、自分がどう生きるかと向き合い、自分らしい人生を歩み始めています。
あるお母さんは、父親からずっと否定されて育ってきたと言います。
「お前の容姿じゃ結婚すらできない」と言われ、成績の良い妹と常に比べられ続けてきました。
否定されて育ち、親が敷いたレールの上を真面目に生きてきたお母さんたち。我慢に我慢を重ね、自分の気持ちに不感症になってしまう。
そんな彼女たちの口癖が
「どうせ私なんて」
でした。
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