自分の価値を認められないからこそ、良い母になりたいという心理
あるとき、お子さんが東大に進学したというお母さんに出会いました。彼女は、その子育て方法をまとめた本を出版する予定だと言います。
「それはすごいですね。その本を読んで、読者さんにどうなってもらいたいですか?」
そう尋ねると、彼女から驚きの言葉が返ってきました。
「私のことを尊敬してほしいです。すごいお母さんだって思ってもらいたいです」
驚いてしまって返す言葉に窮してしまいました。
仕事柄、母親に出会ってきました。中学校の現場では、進路指導は最重要なな仕事です。
自分自身に自信がないお母さんほど、子どもの学習成績や進学先にこだわりました。
中学生ともなると、子どもたちにも確固たる自己が存在します。「こう生きたい!」とハッキリ言えます。
少しでも偏差値の高い学校へ。少しでも有名な学校へ。
そう願う親はたくさんいます。ハッキリ申し上げれば、行った学校で子どもの人生など決まりません。偏差値50の学校も、偏差値49の学校もさほど変わりません。
それでも、その些細な数字にこだわるお母さんは多くいます。
あるお母さんなどは、三者懇談の席でこう吐き捨てました。
「あなたにいくら投資してきたと思ってるのよ!」
そのときの、子どもの悲しそうな表情を忘れることはありません。
子どもの評価を、あたかも自分自身の子育てへの評価だと感じている母親はたくさんいます。
これまで三千人以上の子どもたちと出会ってきました。その経験で言わせていただければ、子どもなんてものは余計なことをしなければすくすくと育つものです。
あたたかなご飯、あたたかなお風呂、あたたかなお布団。お母さんがニコニコ笑っていてくれたら十分なわけです。
東大生を育てたお母さんの育児書を読んで、(あぁ、こう育てれば東大生が育つのか)と勘違いしてしまうお母さんの多いこと。
そんなことはありません。
たまたま、その子には東大に行くだけのポテンシャルがあったというだけの話です。
野球選手のイチローは、たぶん僕が育てたとしてもメジャーリーガーになったでしょうし、僕の息子をイチローのお父さんが育てたとしても、野球選手にはならないでしょう。
兄弟の中には、兄は優秀だけど妹は普通、とか、姉は運動神経が抜群だけど、弟は運動が苦手、とか。そんな例は枚挙に遑がありません。
「こう育てたらこういう子が育つ」なんてものが存在するならば、兄弟姉妹は同じような能力になっていなければおかしいわけです。
子どもの優秀さは、決してお母さんの子育ての成果ではありません。その子の持って生まれた才能を伸ばしたことは素晴らしいことです。でも、たとえば隣の子の成績があなたの子どもより一点高いから、あなたの子育ては一点負けているなんてことはないのです。
あるとき、乳児のお母さんばかりで子育て講座をしたことがありました。
「他の赤ちゃんとついつい比べてしまう」
とおっしゃるのですね。それでいったい何を比べるのかを尋ねました。
「どちらが首が早く据わるか」
「どちらが早く寝返りを打つか」
そんなことを比べてしまうと言うのです。月齢が違うのですし、個体差というものがあるのですから、成長の早さを競うのはおかしな話です。
ところが、その若い母親たちの話を聞いて、僕は考えさせられてしまいました。
「早く育った方が優秀じゃないんですか?」
なぜ我が子に優秀さを求めてしまうのでしょうか。
自分自身の価値を信じられない女性は、我が子に期待し、我が子の優秀さでもって、自分の価値を再生させようとします。
でも、子どもは親の通知表ではありません。
子どもは親の思ったようには育ちません。そのことに自信をなくし、子育て講座にジプシーのように通いつめるお母さんもいるのです。
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