先生の反応ひとつで学級は変わる。異論を受け止めて、みんなの最適解を見つけてみる。
以前、会議の中で「あなたはどう思うのか?」と問われたことがありました。
自分よりも上位の役職者である管理職から意見を求められました。
僕はそのとき感じたものを、そのまま伝えました。
すると、それを聞いてその人は、とても不愉快そうな表情を見せ、僕の発言を聞き流しました。
意見を求めておきながら、自分の意に反した意見は切り捨てたのです。
こんな話は、組織の中で山のように見かける場面です。
支配的なリーダーは、イエスマンを好みます。
自分の意見に賛同するものだけを重用し、異なる意見を排除します。
僕はそのとき、「2度と発言しないでおこう」と思いました。
このように自由に発言する心理的な安全性が崩れると、人間はリーダーの頭の中にある「正解」を探そうとします。
例えば、学級活動や授業中。
経験も能力も異なる多様な児童生徒が、その頭脳をフル回転させて、いろんな意見を出します。
当然、意見は自由に言えた方が良い。
建設的な意見であれば、反論はむしろ歓迎されるものです。
先生の「反応」ひとつで、その場は良い方にも悪い方にも転がります。
自分と異なる意見に対して寛容な姿を見せられないと、児童生徒は萎縮し意見を言わなくなります。
そして、先生の頭の中にある「正解」を探そうとし始めます。
先生に言われたことをやるだけの方が評価されます。
すると、みんな、考えなくなるのです。
ですから、自分とは異なる意見が出たときの、先生の「反応」はとても重要です。
異論が出たときには、それをちゃんと受け止め、なぜそう思うのか、耳を傾けてみましょう。
自分と異なる意見に対して、寛容な姿を見せられると、尊敬される先生になれます。
一方、そこで不愉快な表情を見せれば、「この先生は小物だな」と見透かされてしまいます。
異論はあって当たり前。
そういう前提で、広く意見を求めましょう。
他者多様な児童生徒がいるのですから、異論はあって当たり前ですし、むしろ議論を深める上で歓迎されるものです。
むしろ、異論が出ない方が不自然だと言えます。
何もかも先生の思い通りに事が進んでいるとしたら、学級の状態を心配した方がいいでしょう。
すでに、心理的な安全が壊れかけている可能性もあるからです。
自分と異なる意見は宝物です。
先生の正解ではなく、みんなで組織のあり方に目を向けたいですよね。
そのためには、異論が必要であり、異論は先生の「反応」ひとつで決まります。