有言実行の人間になる方法
子育てにしろ、ビジネスにしろ、生き方にしろ。
僕は言ったことや書いたこと、話したこと、つまりは「発信したこと」を実践している。
そんな僕を見て、ある人が「くれちゃんは有言実行の人ですね」と評してくれた。
(違うのにな…)
と思った。
有言実行とは、「言ったことをやる人」である。
僕は決して「言ったことをやる人」ではない。
簡単に言うと、「やったことを言っている人」である。
子育てにしろ、ビジネスにしろ、生き方にしろ。
僕はこれまで「実践してきたこと」を発信している。
そこには机上の空論はなく、成功したことも心配したことも含めて、「やってきたこと」を発信している。
失敗することに価値がある
先日、TikTokに僕が過去に犯した失敗を動画にして発信した。
そしたら、こんなコメントを見つけた。
「失敗したことを発信できるなんてすごい!」
僕にはよくわからない。
失敗することは恥ずかしいことではない。
むしろ、失敗をしていないということは、挑戦をしていないということなので、その方が恥ずかしいことである。
挑戦したら、失敗する。
失敗しない方法は、挑戦しないことである。
失敗談のない人生こそ味気ないものはないと思っている。
だから、僕はいろんな挑戦をしてきた。
クラファンしたり、大きなイベントを開催したり、カレンダーやCDといったプロダクトを作ったり。
それから今はアプリ開発や出版を進めている。
いつもいつもチャレンジの連続だ。
その中で山のように失敗をしている。
もっと賢い誰かがやったなら、もっと失敗は少ないのだろう。
僕の経験と能力では、これが限界。
だから、いっぱい失敗する。
その経験の蓄積が、さらなる大きな事業を生み出す。
いわば、自分を成長させるためには、失敗が必要なのである。
失敗していないと、成長しないのである。
そんなわけで、僕はいつも挑戦している。
そして、たくさんの経験をしている。
経験したことで語れ
経験したことを、書いたり話したりして、発信している。
発信したことをやっているのではなく、やったことを発信しているのだ。
つまり、「有言実行の男」ではないわけである。
世の中には、いろんな発信がある。
SNS、動画、ブログ。
とにかくいろんな発信の場がある。
俺はこう思う。
私はああ思う。
それはそれで自由だ。
語りたいことを語ればよい。
でもね、思うんだ。
「人はこうすべきだ」
「人はこう生きるべきだ」
「人はこうあるべきだ」
そんな「生き方」を語る人間は、自分がその実践者であるべきだと僕は思っている。
「失敗を語ろう」と説く僕は、率先して失敗を語っている必要がある。
「ルールを守ろう」と説くならば、自分が率先してルールを守らねばならない。
「信頼に足る人物になろう」と説くならば、自分が率先して信頼に足る人物であらねばならない。
偉そうなことを発信するということは、それだけ自分の生き方のハードルを上げることにつながる。
そうでないと、(あんた、偉そうなこと言ってるけどさ、できてないじゃん…)と鼻で笑われてしまうのだ。
でも、生き方のハードルを上げない方法がある。
まず、実行することから始める
生徒が事件を起こしたりする。
「もうしません」とか「次はがんばります」とか言う。
そんなとき、僕はこう伝えてきた。
「言葉はいらないよ」
人は言葉ではなく、その人の行いを見ている。
きれいな言葉を並べるよりも、その人が何をしているかを見ているのだ。
まず行(おこな)いなさい。
そのあとで、為したことを語りなさい。
成功したことも、失敗したことも含めて。
ありのままに感じたことを伝えなさい。
こうやって発信すれば、もっと軽やかに生きられるし、軽やかに発信できる。
ニセモノは暴かれる時代である。
できもしないことを発信しても、鼻で笑われるだけである。
やったことを語るだけだ。
そうすれば、あなたは「有言実行の人間」になれる。
そして、そういう人間を人は信頼するし、人格者だと思うのである。
そんなことを僕は風呂場で考え、今ノボせて涼んでいるところだ。