僕に救えるもの、救えないもの
毎年我が家の軒先に燕が巣を作る。
愛車の真上にあるため、春先は糞だらけになる。
もう少し場所を考えてくれても良いのにな、と思うけれど、燕には燕の都合があるわけで、そう人間様の都合を考慮してはくれない。
撤去しようかとも思ったけれど、せっかく我が家を選んでくれたわけだし、春先は車の汚れには目を瞑ることにした。
さて、先日妻がDVDを視聴しようと子どもたちのプレステに挿入したところ出てこなくなるという事件が起こった。
ネットでググっ見ると、どうやら細いドライバーがあれば取り出せるとのこと。
車に飛び乗り、急ぎホームセンターに向かい、お目当てのドライバーを買った。
帰りにガソリンを入れ、車を車庫に停めようとして、ふと異変に気づいた。
軒先の巣が落下しているのである。
その横に2羽の雛が震えていた。
生きているのか、息絶えているのか、検討がつかない。
これまたググった結果、野鳥は手で触れてはならないことを知った。
燕の雛は巣から落下することがある。
そんなときは軍手を着けて人間の臭いが付かぬようにし、そっと巣に戻せば良いそうだ。
では、巣ごと落下したらどうするのか。
トレイのようなものにティッシュを敷き、即席の巣を作って、雛を入れておくらしい。
ググった情報なので真偽はわからない。
とりあえず僕は、その情報を信じることに決めた。
即席の巣を作り、今はもう命が風前の灯となった雛をそこに移した。
ふと目をやると、車のタイヤのすぐ横に4羽の雛が横たわっていた。
あやうく轢き殺すところだった息も絶え絶えの雛たちもまた、即席の巣に戻しておいた。
僕が買ってきたばかりのドライバーでDVDを救出しているころ、妻は動物病院や役所に問い合わせてみた。
DVDは無事取り出せたのだが、雛の方はどうしようもないらしい。
自然のものは、それ以上どうにもできないという結論になった。
人間が育て生きながらえたとしても、親鳥から飛び方や餌の取り方を学ばねば巣立つことができない。
どうやら野鳥を育てることはできないようなのだ。
これもググった情報である。
その翌朝、親燕が軒先で元気な声を聴かせてくれた。
僕は少し安堵し、車庫に足を運んだ。
落下した巣が元あった場所のすぐ真下、即席の巣は置いておいた。
ところが、親鳥たちは落下した我が子には、もう興味を失ったようで、また新たな巣作りを始めていた。
本能で生きる彼らにとって、子育ては巣の中で行われるべきものだし、弱い小動物にとって赤子を失うことは、「よくある出来事」なのかもしれない。
DVDは救えても雛は救えなかったと、肩を落とす僕の横を親鳥が飛んでいく。
新たな巣づくりに一生懸命で、我が子を失った悲しみにむせび泣くこともない。
人間はなかなか面白い生き物だ。
さて、あとでお墓でも作るとするか。