幕末の子育てにヒントが隠されていた!
日本を「子どもの楽園」と表現したのはラザフォード・オールコック。
初代イギリスの駐日総領事です。
幕末から明治にかけての日本。
街は子どもたちの遊び場で、どこもかしこも子どもで溢れていたそうです。
ドイツ人であるネットーとワグネルの共著『日本のユーモア』(1901年)には、こう記されています。
「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」
オランダの軍人ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケの著書『長崎海軍伝習所の日々』にはこうあります。
「子供たちへの深い愛情を、家庭生活の全ての場面で確認することができる。見ようによっては、日本人は自分の子供たちに夢中だとも言える。親が子供に何かを禁じるのは、ほとんど見たことがないし、叱ったり罰したりすることは、さらに稀である」
子どもに鞭打ち、厳しく躾けをしてきた欧米人には、日本人の子育ては信じられなかったそう。
刀で人の首をはねる文化を持ちながら、子どもを罰することを残酷だと考える日本人の子育て観は、理解し難いものだったようです。
エドワード・シルベスター・モースはアメリカの動物学者です。
日本に初めてダーウィンの「進化論」を紹介した人物でもあります。
彼は1917年、『JAPAN DAY BY DAY』という書籍を出版します。
「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはなし」と表現しています。
「刑罰もなく、咎められることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない」子どもたち。
一見、日本の子どもたち過度に甘やかされて育てられているように感じます。
1889年から1894年まで駐日英国公使をヒュー・フレイザーの妻、メアリー・クロフォード・フレイザーが著した『英国公使夫人の見た明治日本』(1982年)には、こう書かれています。
日本の子どもは「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」と。
「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます」
「日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」
子どもには子ども独自の文化がありました。
大人とは異なる文法をもつ子どもの世界。
そこに、大人たちは境界線を引き、不可侵でした。
子どもの自立した世界を認めていたのです。
一方、大人たちは、大人の生活のあらゆる場面に子どもの参加を認めました。
子どもは大人と一緒にどこへでも出かけました。
子どもが見るようなものではない淫猥な見世物を芝居小屋で見ますし、春画なども彼らから隔離されることはなかったそうです。
両親と遅くまで起きていて、大人たちの話に仲間として加わっていました。
自分たちに許される程度の冗談や嘘、喫煙や飲酒などの楽しみのおこぼれを、子どもに振る舞うことをけっして罪悪とは考えていなかったそうです。
子どもを大人扱いするわけですから、お手伝いも率先して行いました。
彼らが最初にする仕事は弟や妹の子守りです。
自分とさほど変わらない子供を背負わされて、遊んだりお使いに行ったりします。
赤ん坊は、子どもの背中で世界を眺めていく。
これが、日本の社会の習わしでした。
日本の子どもたちは、大人の真似事をして遊びました。
見たばかりの役者を演じて見せたり、結婚式や葬式を真似てみたり。
日本の子どもたちは小さな大人だったのです。
一見、甘やかしや放任に見える「日本の子育て」。
ところが、子どもたちは小さなころから礼儀作法を仕込まれていました。
それは、大人の姿から学んだことでした。
大人と子どもの境界線を引かず、子どもはどんどん大人の世界ん触れていきます。
そして、そこで見たものを吸収していったのですね。
日本では子育てが寛容な形で行われていました。
そして、社会全体で子どもを愛護し尊重する文化がありました。
以上が、教育や子育てが欧米化する前の記録です。
渡辺京二 著『逝きし世の面影』(平凡社)をまとめてみました。
私たちは社会的な存在です。
人との「つながり」が人を強くします。
子どもが強くたくましく育つのは、大切な人から信じられているという自信です。
しかしながら、人は一人では子育てができません。
共同養育という文化があります。
いえ、そのように子育てをしなければ、人は人を育てられないのです。
慈しむ無償の愛で、乳児期の子どもの「根っこ」を育てる。
他者との関わりの中で、幼児期には「幹」を育てる。
そうして、「私は私でいいんだ」と知る。
そのうえで、思春期には教育が「枝葉」を繁らせる。
どうも僕らは「教育」に頼るところがあります。
「教育」に頼りすぎるところがあります。
すぐに大人は「子どもの領域」に口を出し、手を出します。
「子どもの楽園」だった時代を振り返ってみる。
すると、今の日本に欠けてしまったものも見えてきます。
子どもが真似たくなる大人になれているだろうか?
口を出しする前に、手出しをする前に。
まず、大人の在り方だよ、と僕は思うわけでしてね。
子どもとつながる魔法の質問
どんな姿を見せていますか?
渡辺京二 著
『逝きし世の面影』
(平凡社)